New York and Jazz


 

          煙が目に染みる


シカゴリバーからミシガンアベニューを少し北に行った
グランドアベニューに面したカフェバーはすでに黄昏に包まれていた。

謎子は通りに面したカウンターに座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

シカゴ特有の強風に負けじと人々はコートのエリを立て少し前かがみに
帰途を急いでいる。

午後から降り出した雨は、風と混じりながら夜の街を一層冷え込ませた。
冬の雨は冷たく、その冷たさは謎子の心にまで沁み込んできた。

謎子は冷え切った心を暖めるかのようにグラスを傾けマティーニを流し込んだ。

ちょうどその時

「もしかして・・・」

背後から日本語が聞こえた。
「謎子・・・さんでは?」

謎子がゆっくり振り向くと、そこには40歳前後の見知らぬ男が立っていた。
一見ビジネスマン風、バーバリーのトレンチコート、
コートの下にはアルマーニのスーツ。
髪は少し長めで雨に濡れて光っていた。

気障な男、と謎子は思った。

「なぜ?私とわかったの?」

「実は、どこかで謎子を見かけたら声をかけてくれと、
支配人から頼まれていましてね、
今日はビジネスでここへ来て、なんだか謎子さんが
この店にいるような、そんな気がしたのです
いわゆるシックスセンスってやつですよ。」

「支配人って。。。あの?」

「ええ、あの支配人ですよ。」

二人は初対面にも係わらず、お互い顔を見合わせて頷いた。
それは不思議な同意の上から来る親近感を二人の間にもたらした。

謎子は煙草を取り出した。
男はすかさずライターを差し出した。

『なんだ。。。100円ライターか・・・
ジッポーぐらい差し出すのかと思ったわ』

謎子は男の無神経なアンバランスがいまいましく
心の中で軽く舌打ちした。

男は当然の如く謎子の隣に座り、バーボンを注文した。

店内は、一杯やるにはまだ早く、かといって
コーヒータイムには遅すぎたので、謎子と男の他に客は1人しかいなかった。
かすかに流れるブルースが降りしきる雨の伴奏のようにリズムを刻んだ。

「どうしてまたシカゴへ?」
男は外を見つめたまま聞いた。

「街頭音楽家の音楽をふと聞きたくなったの、あなた聞いた?
もう少し先の交差点の角で演奏している、黒人長笛奏者の音色を?」

「ああ、ストリートミュージシャンのフルートですね、ええ聞きました」

この男はどうも横文字が好きらしい、と謎子は思った。

「で、どう思った?」

「ワンダフル!」
男はそう言って視線をグラスに落した。

「それだけ?」
「私はあれこそ本当の音楽だと思ったわ」

謎子は遠くを見る眼差しで軽く煙を吐き出した。

「謎子さんって
雰囲気なんだかアンニュイですね」
男は謎子のほうに身体を斜めに向けながら言った。

「アンニュイ?
違うわ、気だるいだけよ」
謎子は前髪をかき上げながらつぶやいた。

「同じだと思うけど・・」
男もつられて前髪をかき上げながらつぶやいた。

「謎子さんお仕事はやはり音楽関係なのですか
お住まいは?どこから来てこれからどこへ?」

謎子はグラスの縁を指でなぞりながら言った。
「それは言えないわ、それに私には過去も未来もないの
あるのは今だけ。。。」

この男とも長く話しすぎた、そろそろ終わりにしなくては、と謎子は思った。

おもむろに立ち上がった謎子に男は驚き
「どこへ?謎子さん!」と慌てた。

謎子は振り返らず片手を少し振り

「行き先は。。。風に聞いて・・・」

と立ち去った。

謎子の開けたドアから勢いよく冷たい風が吹き込み
男の心と髪を乱した。

後には謎子の吸いかけの煙草と、未払いの伝票が残されていた。

持ち主のなくなった煙草から上る煙が男の目に染みた。

シカゴ編 完