書籍にみるニューヨーク讃歌
アメリカン・ジャズ・ガイド(東京白川書院刊/ジャズ評論家 岩浪洋三著)より
ニューヨークの冬は寒いけれども、それでも今、いちばん行ってみたいのはニューヨークである。それは、ジャズを中心に最高の音楽とエンタテインメントを楽しむことができるからだ。この10年間に10回以上も訪れたが、一度も退屈したことがないし、もっと 居たいという後ろ髪を引かれるような思いでマンハッタンを離れることが多かった。
ジャズピアニスト秋吉敏子「ニューヨークでは生活そのものがジャズであり、ウエスト・コーストでは、ジャズは仕事になってしまう」
ジャズギタリスト川崎僚 「ジャズに関する限りニューヨーク以外はローカルである」
ときめきJAZZタイム(ジャズ批評社刊/ジャズ漫画家 ラズウェル細木著)より
円高の昨今、猫もシャクシも海外へ出かける時代だが、ティファニーで買いものするヴァンサンカン女と、われわれジャズ・ファンとでは、空港に降り立つときの感慨の深さが違う。ジャズに関する限り、ニューヨークでなくてはならないのである。私の場合、ほとんどの時間をレコード屋とジャズ・クラブで過ごす。したがって、いまだミュージカルもメトロポリタンも見たことがない。ジャズ関係だけで手いっぱいになっちゃうのだ。ジャズ・クラブへは金と時間の許すかぎり毎晩出かける。Vanguard あたりだと日本人ビジネスマンの接待の場になってたりして、日本のライブ・スポットじゃ絶対に一緒になることはないような重役タイプのハゲ親父がいたりしてオモシロイ。ところで、ニューヨークのジャズ・クラブは始まる時間が遅い。私は昼間、あちらこちらほっつき歩くので、11時頃にはすっかり眠くなってしまう。テーブル席のまん前でトロンボーンの朝顔に顔をつっこむようにして居眠りしてしまう私は大タワケ。
ニューヨークに見るアメリカ(新潮選書/東大教養学部教授 本間長世著)より
コール・ポーターの作品で I Happen to Like New York という歌がある。私もたまたまニューヨークが好きである。私がアメリカに留学したのは1954年9月で最初はマサチュセッツ州西部のアマースト・カレッジ、1956年コロンビア大学に移って、数年間あちこちと住居を変えながらニューヨーク暮らしを続けた。私はニューヨークで結婚し、妻と二人でニューヨークを歩き廻り、日本からの訪問者を案内して歩くと、自分がいっぱしのニューヨーカーであるような気がしてきたものである。ニューヨークはアメリカではないと、多くのアメリカ人が言う。確かに、ウィスコンシンが本当のアメリカであるならば、ニューヨークはアメリカではない。しかし、ニューヨークこそアメリカ文明の象徴であるという声もある。つまり、ニューヨークとは、アメリカの大いなる逆説なのである。ニューヨークの魅力の源は、ひとつにはこの逆説にあると思う。息を呑む素晴らしさと、目をそむけたくなる醜悪さとがつねにあって、その対照がやはりニューヨークの魅力なのであろう。
−中略− かつて訪れた場所を思い浮かべながら筆を進めてゆくと、当時は大して気にもとめなかったところが無性に懐かしくなってくる。コール・ポーターには Take Me Back to Manhattan という歌もある。
モザイク都市ニューヨーク(日本貿易振興会刊/JETRO海外調査部米州課長 滝井光夫著)より
91年7月末、晴れ渡ったジョン・F・ケネディ空港を飛び立った飛行機が北上し、住んでいたライの町の上を通って北西に進路を変えると、予想もしなかった風景が窓越しに展開した。大きな緑のセントラルパークが広がるマンハッタン島、ハドソン川をまたぐタッパンジー・ブリッジ、−中略− 2回目のニューヨーク滞在を終わり、もう再びニューヨークに住むことはないのではと思うと、万感が胸に迫ってきた。ひどい経験もしたが、いまや楽しい思い出ばかりになっている。ニューヨークは不思議な街である。忙しいビジネスの中心地であるとともに、素晴らしい芸術の街でもある。夜ごとのきらびやかなパーティの半面、街には貧しい人々がそこかしこにいる。よそよそしい気取ったマジソン街の隣には、庶民的なレキシントン街やソーホーがある。危険と隣り合わせの緊張感、人々のふれあい、気づかいの言葉のやりとり。ニューヨークはアメリカの街ではないという人もいるが、ここはやはりまぎれもないアメリカを代表する都会だと思う。
街道をゆく−39−ニューヨーク散歩(朝日新聞社刊/司馬遼太郎著)より
その巨漢は、黒人の街のハーレムのうまれである。「マクドナルドだ。ドナルドとよんでくれてもいい」そんないい加減さが、私の気に入った。齢は三十半ばで、海兵隊の軍曹のようにたくましい。根っからのニューヨークっ子である。他の土地には住んだことがない、という。「よその土地ならとっくに死んでるよ」「たとえば、カリフォルニアなら?」「ノーノー」手を振った。この日、1992年2月29日である。2カ月後に、カリフォルニアのロサンゼルスやサンフランシスコに黒人暴動がおこり、暴徒は韓国人商店街の店主たちから、拳銃やライフルで狙撃されたりした。なぜニューヨークだから生きのびているのか、理由は聞きもらした。それほどニューヨークは自分にとっていい街だ、というだけの形容かもしれない。
ニューヨーク・スケッチブック(河出書房新社/ピート・ハミル著、高見浩訳)より
私は戦争やリチャード・ニクソンに対して棍棒をふるうかたわら、よりささやかな物語をも書きはじめた。描く対象が人間の感情であり、しかも主人公たちがアメリカで最もセンティメンタルな人種であるニューヨーカーであるということになると、どうしてもセンティメンタリティが前面に出てきやすい。皮肉や薄っぺらな洒脱さで冒涜することは、ごく容易な業であったに違いない。だが、彼らの一人として私に反撃する武器を持ってはいないのだから、もしそれをすれば、一種の犯罪行為であったと思うのだ。私が生れ、育ち、そこでいまも働き、運がよければそこで死に、埋葬されることになる街の住人たちを傷つけたくはなかった。私と同じように、彼らはある種の深い疲労感と、ときとして畏怖の感覚とをもって、ニューヨークという街に生きている。彼ら自身が住んでいるのは、孤独と喪失に彩られた、見えない街なのである。私はこの地上のどこよりも、その街を愛している。
ニューヨーク・ガイドブック(河出書房新社/ニューヨーク・タイムズ編、井上一馬 高見浩共訳)より
−あとがき抜粋− ご存知のように、ニューヨークには多くの人種がひしめき合って暮らしている。そしてそのなかで、胸いっぱいに夢を詰めた人間が大勢、その夢を実現させようと精一杯背伸びして生きている。だからこの街には、なんともいえない緊張感がある。この街を歩いているとその緊張感がひしひしと肌に伝わってくる。その雰囲気は、ニューヨークと同じように、いやそれ以上に繁栄を謳歌している東京の街の、同一人種の群れが作りだす一種ぬるま湯的な雰囲気とは、いい悪いは別にして、やはり大きくかけ離れているように思う。もしかしたら、ニューヨークにあって東京にないものといえば、いまではもうそれくらいしか残っていないかもしれない。ただそんな街の雰囲気を味わいに行くだけでも、ニューヨークに足を運ぶ価値はあるのではないだろうか。少なくともそれは、東京に居てお金で買うことのできるものではない。
住んでみたニューヨーク(サイマル出版会/共同通信社編集委員 谷沢慎一郎著)より
「向こうでは危険な目にあわなかったですか?」「夜、街を歩いていて襲われたりしたことはないですか?」三年余のニューヨーク滞在を終えて日本へ帰ってきたら、友人、知人から決まってこういう質問を投げかけられた。質問には次のような返答をすることに決めている。「たしかに、ニューヨークに危険な場所はあります。でも安全なところはたくさんあります。要は、危険だといわれている場所へ、深夜、一人で近づかないことでしょう」これはニューヨークだけではなく、世界中どこにでもあてはまる真理だろう。さて、そのニューヨークはこうした危険の存在を補っても余りある、エネルギッシュで魅力に富んだ街である。ケネディ国際空港に降り立って、イエローキャブでトライボローブリッジを渡り、はじめて春霞にかすむマンハッタンの摩天楼を見たときの感激は、今でも強烈に胸に焼きついている。・・・・・・
ニューヨークという街は、人をジャズの虜にするところらしい。私もニューヨークへくるまではクラシックのほうが好きだった。それが先輩のS氏に一度、スイートベイジルに連れていってもらったために病みつきになった。
マンハッタンのクラブ変遷とニューヨーク・ジャズの生成(ジャズ批評社/ジャズ批評#58 小川隆夫著)より
ジャズといえば一般の人にとってすぐに思い浮かぶのはニューオリンズであろうか。しかしこれがジャズ・ファンともなれば、まず思うのはニューヨーク、そしてグリニッチ・ヴィレッジにある数々のジャズ・クラブかもしれない。古いファンには五二丁目にあった数々のクラブかもしれないし、ハーレムのことかもしれない。黒人ミュージシャンのことを考えるかもしれないし、白人にだって素晴らしいジャズ・プレイヤーはいるよ、という人もあるだろう。いずれにしてもジャズ・ファンにとって、今やジャズはニューヨークなのである。その昔ニューオリンズに発生したジャズはシカゴを経てニューヨークにまで伝わり、そこに根を下し、逆にニューヨークからアメリカ国内はもとより、今や世界中にサムシング・エルスを送り続けている音楽なのだ。
多くのミュージシャンが未来を夢見てやってくる街、それがニューヨークであるなら、そこには確かな手ごたえのあるジャズもまた存在するはずだ。ジャズ・ミュージシャンがニューヨークをめざすなら、ジャズ・ファンだってニューヨークをめざしてもよいはずである。そこにはきっと思いもよらぬ素晴らしいジャズが息づいているはずだから。挫折もあれば、成功の甘き香りもある。そんな街だからこそニューヨークは限りなき魅力的な場所だと思うのは、一度でも住んだ人なら誰しもが感じることだろう。(中略)
たとえジャズがニューオリンズで発生し、ルイ・アームストロングがセント・ルイスで生まれ、シカゴでジャズが大きく開花し、カンサス・シティでスイングが産声をあげた事実をもってしても、それらのすべてがニューヨークというフィルターを通さなければジャズの歴史には残らなかったことを今一度認識しておかなければならない。ニューヨーク・ジャズという言葉は聞いたこともなければ、確かに存在もしない。けれども(中略)
つまりジャズ発生の時点から今の今まで、ジャズはニューヨークで認められない限り、単なるローカル・ミュージックに終わり、世に知られる存在になるまで大きく成長することはあり得ないと、ここで多少の無理は承知でも敢えて断言しておきたい。